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「くる話」#1 経験をくくる話(前半)

2018.8.31

有地 和毅

忘れたくない夜が増えていく。

なにもかもはじめてだった頃は、忘れられない夜だった。でも今は忘れたくない夜。あなたもわたしもいつの間にか大人になってしまって、いろいろなことが終わったり過ぎ去ったりするのを知っている。鮮烈な印象だってすぐに消えてしまう。心奪われるたびに次の瞬間にはもう過去になっているのがわかる。
たとえば誰かと過ごした時間、何気なく発せられた言葉、話の途中で何かを思い出したのかふと真顔になる一瞬、振り向いた時に揺れる髪の造形と街灯から拡散する光の交差(椎名林檎とジャコモ・バッラの光学的邂逅)、スコールの後のクアラルンプールみたいな晩夏の東京、夜の匂い。
全部、いつか忘れる。

こんばんは。夜のセンチメンタルブックディレクター有地和毅です。「ブックディレクターってセンチメンタルなんですか?」なんて純粋な、無垢な、真っ白な、小首を傾げた感じの舌っ足らずな愛くるしい質問が飛んできそうですが、その質問には少し伏し目がちにけれどもはっきりYesと答えましょう。”本によってコンセプトを具現化したり課題を解決したりするけれど本そのものに深く入り込んで何日も何十日も向き合うことはない”という本との距離感から必然的に帰結するムードがセンチメンタルであり、ブックディレクターというものはいつもセンチメンタルなのです。あなたの周りのブックディレクターもきっとそうでしょう?センチメンタルブックディレクターの頭文字を取ってSDBと書けば気分はもうスチャダラパー(SDP)ですね。SDBだとスチャダラバァなのでスチャダラのおばけでしょうか。ちょっとオバケジャーみたいですね。ゴースト、囁いてますか?
わたしは普段はもっとサクッ🍘としてるんですけど、今夜は濡れせんべい☔🍘です。濡れせんべいはサクッとしてないですよね。うまく言えないんですが、マヌッ。みたいな。マヌッ。マヌッ。って夜になると隣の部屋からなんか音がするんです。マヌッ。なんでマヌッとしちゃっているかと言うと、だってどうやら夏、いずれ終わるっつーじゃないですか?(Big up to みうらじゅん&リリー・フランキー)そうなんです。夏の終わりを感じてセンチメンタルになっているのです。実際過ぎ去っちゃいますよね、夏。わかっててもかなしい。かなしいけどしょうがない。しょうがないのがまたかなしい。
でもまあ、わたしは海沿いのデニーズで朝までしゃべり倒すギャルのバイブスで生きているので実際は「すべてが過ぎさっちゃうのかなしい」という感じではなく「万物ガチで流転するくない?」みたいな軽いノリのヘラクレイトスな感じです。「地元どこ?」「エペソスッス?」「エペソス?」「そッス!エペソスッス!ッス!」みたいな。(ヘラクレイトスはエペソスの出身。この注釈、間が抜けて見えますね。)「めっちゃわかるー!超無常ッスよね、諸行?」みたいな。「色めっちゃ空、空めっちゃ色」みたいな。すみません。全体的に言い過ぎました。何の話でしたっけ?そう、それ。過ぎ去ったり、忘れちゃったりする話。

みんな(人類史的な意味でのみんな/ホモ・ファーベルとしてのみんな)過ぎ去っちゃう、忘れちゃうってわかってるんですよね。わかってるからこそ記憶を外部化しておこうとする。記憶そのものというよりは記憶にアクセスする(思い出す)トリガーになるものをつくりだすわけです。写真、絵画、音楽、詩、小説、日記、ヒトがつくるものはすべて外部記憶としての側面を持っています。
それは帳簿のようにわかりやすく記録としてあるものだけではありません。たとえばプロダクトは、プロダクトが造られるプロセスや技術情報の記録でもあります。(それを読み取るのがリバースエンジニアリング。)さらにプロダクトは設計思想が具現化されたものでもあり、設計思想はヒトと世界との関係の切り結び方を圧縮して抽出したものと言えます。
目の前にあるひとつのモノは、ヒトと世界とが向き合った結果であり痕跡であり記憶なのです。ヒトと世界の関係性としての側面に着目するならば、プロダクトってドラマのキャラクターの相関図の矢印みたいですよね。→(片想い)とか↔(ライバル)とか。あなたと世界との間に置かれたもの。こんにちは、インタフェース。
そんなこんなで、わたしたちはみんな無数の記憶に取り囲まれて生きている。

でも事物が過ぎ去ることはinevitableだ。(英語で言ってみただけです。)それだけでなく、わたしたちは事物が過ぎ去って終わることを求めてさえいます。終わりが来るのはさみしいけど、だらだらと続くのは怖いという感覚。ひとつの経験が終わらないことに漠然とした不安を覚えたことがあなたにもあるはずです。小学校の終わることのない朝礼とか、冷たくて重いジョッキを掲げたままいつまでも続く乾杯の挨拶(わたしはそんな挨拶に出くわした経験は天地神明に誓って一切ございませんけども!(目配せ))とか、車も通らないし掘立小屋も看板もなにもないまま地平線にぶっ刺さっていく田舎の一本道とか、あとなんですかね、砂漠での迷子とか?まっすぐ歩いているつもりがだんだん曲がって同じ場所へ。
ひとつの経験がいつまでも続くことの不安は物語の中にも描かれています。『うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー』では文化祭の前日が永遠に繰り返されます。(萩尾望都「金曜の夜の集会」も思い出します。8月最後の金曜日の夜の話。え、今日じゃないですか!この話大好きなので読んで欲しい!『半神』(小学館)に収録されている短編です!)ここでおもろうてやがてかなしいのは、いつまでも続くことの不安が、それを通過した視点から見れば郷愁に他ならないということです。大人になってしまう前の世界を、大人になってしまった後の世界から見るという感覚です。(やだ、泣いちゃう。)子ども/大人というように区切りをつけることで、わたしたちは過去を「少年時代」や「青春」として、つまり対象として捉えることができるようになります。自分自身が巻き取られている経験の最中にあってその経験を認識することは難しい。現在進行形の経験は意識とほぼイコールで、しかもそれは時間の突端にあって永遠に続くのだとさえ感じられます。
経験に区切りをつけるということをわたしたちは日常的にしています。しかもかなりアディクティヴに。たとえばInstagram以降を生きるわたしたちは、どこかへ行った後にInstagramに風景や自撮り画像を投稿することで「どこかへ行った」という経験に区切りをつけます。たとえばTwitter以降を生きるわたしたちは、ぐるぐると頭の中を渦巻くひとりごとを小さなオブジェのようにこじんまりとしたことばに変換して開示するでしょう。朝が来るまで終わることのないぐだぐだな思考に楔を打って切り分けて外部化することで、評価(いいね)の対象になるわけです。

そしてここから今回の本題である「経験をくくる話」がはじまるのですが、数えてみると3,000字近くまできているため、第1回にしてまさかの「後半へ続く!」スタイルにさせていただきます。長い!ブックディレクターは話が長い!という感じで長い長いお話しをしにあなたの街までひとっ飛びで行きますので、いつでもどこへでも呼んでください!(営業スマイル)

後半へ続く!(キートン山田の声でお楽しみください。)

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